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鳥屋城山での発見

鳥屋城山(とやじょうさん)は海の底に砂や泥がたまってできたもの、すなわち地層が積み重なってできている山です。この地層は外和泉層群鳥屋城層と呼ばれていて、白亜紀後期に形成されたものと考えられているのですが、山を歩くとその当時の海の生きもの、例えばアンモナイトや二枚貝、巻貝などの化石が見つかることがあります。

そんな鳥屋城山で大きな動物の骨の化石が発見されたのは2006年2月のことでした。発見者から連絡を受けて当館と京都大学とで共同調査を行った結果、骨化石を含んだ数十cm四方の岩石を複数個採取することができたのです。それらは後にモササウルスの化石であることが明らかになりました。

この調査では、モササウルスの椎骨と後ろ足の骨の化石が得られました。特に後ろ足の骨化石は国内では初記録で、画期的な発見と言えます。これらの化石については2009年6月に記者発表し、新聞やテレビ等でも取り上げられました。

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鳥屋城山

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京都大学との共同調査の様子

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有田市で生まれ育った私は子供の頃から化石が大好きで、中学生~高校生の時には毎週末のように化石採集に出かけていました。いつか和歌山で恐竜や首長竜、モササウルスのような大型爬虫類の化石を見つけるというのがその頃の夢でした。化石の研究を続け大学院に進んだ私は、子供の頃に鳥屋城山の山中を隅々まで駆け巡って化石採集をした経験から、この山の化石や地層は白亜紀末期の北太平洋域の環境を考える上で重要であると考え、鳥屋城山での本格的な調査を始めました。

その日も、薮をかき分けて小さな谷を登りながら、地層の積み重なる順番や含まれるアンモナイトや二枚貝などの化石の種類を調べていました。そして、ある岩の表面を観察していたときに、ふと、骨特有のスポンジ状の組織があるのに気づきました。注意して見てみると、他の岩にもいくつかの骨の断面が見えました。地層の時代と骨の大きさから大型爬虫類であることは明白で、思いもかけずに突然、子供の頃からの夢がかない、喜びがこみ上げてきました。
pic_story04.jpg最初に発見された化石(椎骨)※
しかし、感慨にひたるのもつかの間で、すぐに「とんでもないものを見つけてしまったな。どうやって採取するかな。」という思いに変わりました。なぜなら日本で大型爬虫類の骨化石がまとまって産出するのは非常に珍しく、また、とても一人で運び出せる量でもなかったからです。大学に戻り、脊椎動物化石が専門の松岡博士と、和歌山県立自然博物館の小原学芸員に相談し、共同で調査を行うことになりました。
※ 点線で囲った部分にスポンジ状の組織が確認できたため、骨の化石であることがわかった。