1 シロウオ (素魚・白魚)

スズキ目ハゼ科シロウオ属

shirouo.jpg シロウオLeucopsarion petersiiは、主に北海道~九州の沿岸海域で生活している遡河回遊型(そかかいゆうがた)の生活史をもつハゼ科の魚です。体長は4~5cm、春先に産卵のため川へ遡ってきます。ハゼといっても第1背鰭(せびれ)やウロコ、側線もありません。このようにハゼの仲間では特異な形態を示し、1属1種が知られています。つまり、シロウオ属というのは、この魚以外に知られていないという事です。よくシラウオSalangichthys(Salangichthys) microdonと間違われますが、シラウオはサケ目シラウオ科の魚です。体長も10cm近くある魚なので実物を見れば容易に区別できます。
 シロウオの体は、生きている時は無色透明で、腹側に黒い点(黒色素胞)があります。体が透けているので外から鰾(うきぶくろ)もよく観察できます。このような特徴からか、英名をIce goby(氷のハゼ)とも言われています。ちなみに和名の「しろうお」は死んだ状態、あるいは火を通した状態の色を示しており、古くから日本では我々の食生活に関わっていたことが伺えます。また、シロウオの学名Leucopsarionとは「小さな白い魚」という意味のラテン語のようです。きっと死んだシロウオを見て名前を付けたのでしょう。我々とシロウオの関わりで最も知られているのが、生きたシロウオを酢醤油で食べる「踊り食い」でしょう。もはやシロウオという魚を語るには欠かせない関わりです。また、メバルという海産魚を釣る際のエサとしても良く利用されています。
 このシロウオは和歌山県沿岸でも多く見られます。ひと昔前なら湯浅町や広川町あたりでは大量に漁獲されていたようですし、今でも那智勝浦町太田川のシロウオ漁の様子は春先になるとテレビや新聞などで報じられます。シロウオ漁は主に産卵のため河川へ遡上してきたシロウオを、大きな網(主に四手網(よつであみ))を沈めて待ち構え、網の上を通過するときにすくい上げる方法が中心です。シロウオとしては産卵のために川へやって来たのに、そこを我々に狙われるのだから大変でしょう。しかし、この方法だけでは最近聞かれるような「シロウオ漁獲量の減少」は説明し切れません。
 シロウオは、サケやサツキマスのように川へ遡上(そじょう)して産卵し、孵化後はしばらく河川で留まった後、海域へ流下して成長します。川に遡上したシロウオは川床がきれいで伏流水の豊かな場所の石の裏側に産卵します。卵の数は300粒ほどでオスは卵が孵化するまでの約2週間、卵を保護し続けます。そして孵化した仔魚は波の穏やかで砂のきれいな内湾で生活を送ります。産卵した親魚は斃死します。シロウオの寿命は1年だと言われています。このシロウオの生活史を考えれば和歌山県沿岸で減少している理由として、我々の日常生活が影響していることは間違いないでしょう。なにしろ、きれいな川と広くて穏やかな内湾が必要なのですから、河川汚濁や沿岸の埋め立てはすぐに影響します。毎年世代交代を行っているので影響もすぐに現れるでしょう。
 春の風物詩として馴染み深いこの魚が、和歌山県でも過去のものにならないよう、祈るばかりです。

(自然博物館だよりVol.18 No.2,2000年より改訂)
 *シロウオは、2014年の環境省レッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に、2012年和歌山県版レッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に指定されました。


2 アベハゼ (阿部鯊)

スズキ目ハゼ科アベハゼ属

abehaze.jpg アベハゼMugilogobius abeiは、主に宮城県・新潟県~九州、朝鮮半島・中国・台湾島の河口域、あるいは汽水域(きすいいき)で生活しているハゼ科の魚です。体長は5cmほどで春から夏に産卵期を迎えます。この魚の特徴は、目が左右に離れていて、体の前半には数本の黒色の横縞が、後半には2本の縦縞(たてじま)があり、尾鰭(おびれ)には放射状に黒色帯が伸びることが挙げられます。体の途中で模様パターンが変わるなんて、魚の模様を想像しにくいと思いますが、「百聞は一見に如かず」、写真のとおりです。アベハゼは泥地に多く生息しているため、このような模様が役に立っているのかもしれません。また、背鰭(せびれ)と尾鰭(おびれ)には黄色い帯が現れ、なわばり主張やメスに対するアピールに役立っていると思われます。
 人間が集まりやすい水辺、とりわけ干潟(ひがた)や湿地(しっち)は昔から開発が進み、結果として海や土が汚染されてきました。和歌山県でも河口周辺には多くの住宅地や工場地、漁港が集まり、一時期は著しい水質汚染がありました。近頃はやや回復傾向にあるとはいえ、まだ多くの河口域はヘドロが堆積(たいせき)していたり、汚染排水が注ぎ込んだりしています。当然そのような環境では多くの魚は姿を消してしまうのですが、アベハゼは他の魚が生息できないような環境でも耐えられる体をもっています。
 その理由はアベハゼの体の中で行われている代謝活動(たいしゃかつどう)にあります。体内で尿素代謝(にょうそたいしゃ)を良く行っているようで、和歌山大学でも盛んに研究が行われていました。このアベハゼは有機物(ゆうきぶつ)が堆積(たいせき)して異臭(いしゅう)を放つような環境をむしろ好んで生息しているようです。雑食性であり、他の魚が住まない様な場所を好むのは、アベハゼが他の生物との競争などに弱いからかもしれません。確かに様々な生き物が多く集まる汽水域(きすいいき)で武器もなく、泳ぎもさほど上手くない彼らは、誰も住まないような悪環境に入り込んで勢力を広げる以外、生きていく方法がなかったのかもしれません。
 アベハゼは、和歌山の市街地(しがいち)の川や水路でも若干の塩分があれば生活することが出来ます。ちょっとぐらい狭くて、汚れた水槽でも飼うことが出来ます。しかし、アベハゼの仔魚は生まれてすぐに海へ流れ出て成長します。当然、その海にはアベハゼの子供達のエサになるプランクトンが豊富でなければ、仔魚は成長できません。結局、アベハゼの成魚が生活できても、プランクトンが死滅(しめつ)してしまうほど海が汚れてしまってはアベハゼもいなくなってしまいます。
 最近、環境の評価基準として水生生物が用いられることがあります。しかし、アベハゼのような生物は、親魚だけを見て安心してはいけないという事を忘れてはいけないでしょう。
(自然博物館だよりVol.18 No.4,2000年より改訂)


3 ゴマハゼ (胡麻鯊)

スズキ目ハゼ科ゴマハゼ属

gomahaze.jpg ゴマハゼPandaka sp.は三重県・福岡県対馬(つしま)~沖縄県、国外では中部オーストラリア東岸の汽水域(きすいいき)に生息するハゼ科魚類ですが、まだ多くの分類学的に検討の必要がでてきている魚です。ゴマハゼの仲間はその名前のとおり体の大きさが特徴的で、大きくても体長2cm程、1.5cmぐらいで大人になるようです。また、体には黒斑と黄色い斑紋(はんもん)が現れ、繊細(せんさい)できれいな印象を受けます。
 ゴマハゼの仲間は我々人間も含めた脊椎動物(せきついどうぶつ)のなかでも、最も小さな動物の部類(ぶるい)にあたります。わずか1.5cm程の体に我々のように内臓(ないぞう)や骨格が発達しているかと思うと人間が作り上げた精密機械(せいみつきかい)も顔負けです。その生活は体の大きさに関わらず、とても力強いものです。
 ゴマハゼにとって和歌山県を含む紀伊半島は分布域の一番北の端(はし)(北限(ほくげん))にあたります。恐らく仔稚魚(しちぎょ)が暖かい時期に黒潮(くろしお)などの海流(かいりゅう)によって、南から運ばれてきたのでしょう。しかし、このように海流に乗って本来の分布域からやって来てた生き物の大部分は、冬の寒さや生息場所の違いによって死んでしまいます。このような事を、生き物の無効分散(むこうぶんさん)、あるいは主に魚類に限って言えば死滅回遊(しめつかいゆう)などと言います。結局、子孫を新天地へ送り込んでも環境が合わずに死んでしまい、分布域は拡大出来ないわけです。
 では、なぜそのようなことをするのでしょうか?本来、生き物は常に増えることを考え、新たな生息場所を求めています。毎年のように生息地の周辺へ拡大を試みて、偶然(ぐうぜん)にも適当な環境に当たれば新たな分布域を獲得(かくとく)することができるかもしれません。これは人間が新大陸に渡ったり、今なお宇宙(うちゅう)へ行こうとしている事と根本は変わらないかもしれませんね。
 ゴマハゼのように、分布地域の北限が和歌山県である生き物は数多くいます。これは黒潮の影響(えいきょう)が大きいことは間違いないでしょう。さらに天然温泉(おんせん)が涌(わ)きだしていたり、紀伊半島が台風の通り道であったりと、一見我々にとっては生き物の分布と関係のないような事柄も影響しているようです。ひとことで言ってしまえば、多様で豊かな和歌山県、あるいは紀伊半島の自然が、南からやって来た生き物の生息場所として快適であったのでしょう。彼らが、恐らく多くの犠牲(ぎせい)を払って獲得(かくとく)した和歌山県の新天地は、まだとても狭い範囲で、いつ失われてしまうかわかりません。人間による環境破壊(かんきょうはかい)はもちろん、冷夏(れいか)や大雪などの気象変化によって簡単に消えてしまうでしょう。小さなゴマハゼたちは、その事を知ってか、知らずか、今年もさらに北を目指して仔稚魚たちを送り出ていくことでしょう。
(自然博物館だよりVol.19 No.1,2001年より改訂)
*ゴマハゼは、現在分類的に検討が行われています。2015年4月現在、ゴマハゼは三重県志摩半島まで冬期の生息が確認されています。2014年の環境省レッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に、2012年和歌山県版レッドデータブックで準絶滅危惧種に選定されました。


4 ボウズハゼ (坊主鯊)

スズキ目ハゼ科ボウズハゼ属

bouzuhaze.jpg ボウズハゼSicyopterus japonicus は関東地方~沖縄県西表島(いりおもてじま)、国外では台湾に分布する体長10センチほどのハゼ科魚類です。成魚は主に河川中~上流域に生息しているため川魚のイメージが強いボウズハゼですが、孵化(ふか)した仔魚(しぎょ)は海へ降(くだ)って成長し、その後河川へ遡上(そじょう)してくる通(とお)し回遊魚ですので、今までこのコーナーで紹介したハゼ達同様、海との関わりが大きいハゼの仲間です。
 ボウズハゼは、その名のとおりツルツルのボウズ頭で、離(はな)れた小さな眼でこちらを伺(うかが)っている様子はとてもユーモラスです。また、見た目によらず俊敏(しゅんびん)で警戒心(けいかいしん)が強く、我々にとっては捕まえにくい川魚のひとつです。成魚は、川底の石に付着した藻類(そうるい)のみを食べる植物食性の魚としても知られています。ボウズハゼだけあって食べ物まで精進料理(しょうじんりょうり)のようですね。もちろん孵化後間もない海域にいる仔魚は動物プランクトンを食べています。この動物食(プランクトン食)から植物食への変化は、アユと似ています。また、川での生活の場所もアユと重なっており、アユと藻類の取り合いになることがしばしばあります。そのため、アユの友釣りをする方々の中にはボウズハゼが釣れたことのある方もいらっしゃるかと思います。
 ボウズハゼには、もう一つ「滝登(たきのぼ)りの名人」という一面があります。和歌山県古座川(こざがわ)の支流、小川の滝ノ拝(たきのはい)では、秋頃になると多くのボウズハゼが上流目指して滝を登る様子を見ることができます。この様子はテレビなどでも紹介されるので御存じの方も多いと思います。ボウズハゼの腹鰭(はらびれ)は吸盤状(きゅうばんじょう)になっており、この腹鰭と口を使って少しずつ岩壁(いわかべ)を登っていきます。この吸着力(きゅうちゃくりょく)はなかなか強力で、多少オーバーハングしたような箇所(かしょ)も登ることができます。紀南(きなん)地方で魚の研究をされている福井正二郎(ふくいしょうじろう)氏は、ボウズハゼの壁登りについて詳しく、しばしば著書(ちょしょ)の中でも取り上げられています。
 初夏には、和歌山の古座川や熊野川のボウズハゼは繁殖期(はんしょくき)を迎えます。私もしばしば潜水観察(せんすいかんさつ)をする機会があるのですが、第1背鰭(せびれ)の先がピンと伸びて、尾鰭(おびれ)の先に朱(しゅ)から橙黄色(とうおうしょく)の縁取(ふちど)りが現れたオス個体は自分のなわばりを守りつつ、メスを誘(さそ)うのに必死です。ボウズハゼは川底の石の下にもぐり込んで、石の天井(てんじょう)となった部分に卵を産み付けます。ボウズハゼの卵は、川に住むハゼの仲間の中でも数が多く、大きさは最も小さい卵を産む種類に入ります。当然、孵化した仔魚も小さく、成魚になるまでには多くの捕食者(ほしょくしゃ)に狙(ねら)われ、また多くの餌(えさ)を必要とします。ダムなどで川がせき止められ、他のハゼ類が陸封(りくふう)されてもボウズハゼが陸封化(りくふうか)*されにくい訳はこの辺にありそうです。どうやらダム湖の中でも成長するアユの仔稚魚に比べると、生活のスタイルに関してはボウズハゼの方が頑固(がんこ)?なようです。ですから、ボウズハゼを見るのでしたら、ダムのない川か、ダムより下流で探すことをおすすめします。
(自然博物館だよりVol.19 No.2,2001年)
*陸封化:川と海を行き来して生活していた生物がダムや河口堰、滝などにより海との繋がりを絶たれ、ダム湖や淵を海の代用として淡水域のみで生活史を全うする事。全ての生物が可能なわけではない。


5 シマヨシノボリ (縞葦登)

スズキ目ハゼ科ヨシノボリ属

shimayoshinobori.jpg シマヨシノボリRhinogobius sp. CB は、青森県~南西諸島、国外では朝鮮半島や台湾に分布しているハゼ科魚類です。親は川で産卵して、孵化(ふか)した仔魚(しぎょ)は海へと降(くだ)り、ある程度成長して再び川へと戻って親になる(両側回遊型(りょうそくかいゆうがた))生活を送ります。普通に川や池で見られるハゼの仲間は、このような生活をしている種類が多くいます。シマヨシノボリを含むヨシノボリ属の多くが両側回遊型(りょうそくかいゆうがた)の生活を送っています。
 シマヨシノボリをはじめ多くのヨシノボリ属は正式な学名を持っていません。ほとんどsp.のあとにシマヨシノボリならCBというアルファベットが付いています。これは、シマヨシノボリが体の模様から横斑型(おうはんがた)(Cross-Band type)と呼ばれていた名残りで、頭文字をとって便宜的(べんぎてき)にCBとつけています。また、学名がないなら、種(しゅ)ではないのか?というとそうではなく、しっかり他のヨシノボリの種類と遺伝的、生態的、形態的に違いがあり種(しゅ)として確立していると言って良いでしょう。学名が付かない理由は、元々の記載(きさい)に使われた標本が古くて保存状態が良くなかったこともあり、色斑(しきはん)が失われてしまい、記載に使われた標本自体が何種類もあるヨシノボリのどの種類であるのか分からない状態だからです。しかも、いくつかの学名が過去に提唱されているものの、同様な理由で学名をつけた標本自体がどの種か、あるいはいくつかの種類が混ざっているのか分からないので、学名の決定に時間がかかっています。
 このシマヨシノボリは、和歌山の川にも普通に生息しています。体長は大きくても7cmほど、顔の頬(ほお)の部分にミミズ状、または放射状(ほうしゃじょう)の赤褐色(せきかっしょく)の模様があり、胸鰭(むなびれ)の付け根には三日月(みかづき)のような茶色の模様があることが特徴です。成熟(せいじゅく)したオスは頬(ほお)の部分が平たく膨らみ、第1背鰭(せびれ)の先端が黄色~オレンジ色になります。オスは産卵時期になると川床(かわどこ)の石の下に穴を掘って産卵のための部屋を作ります。ここにメスを呼んで卵を産むわけですが、和歌山県を含む日本本州、四国、九州のシマヨシノボリと、沖縄島のシマヨシノボリでは産卵時期が違っています。本州のシマヨシノボリは春~初夏にかけて産卵します。一方、沖縄島のシマヨシノボリは冬場に産卵を行います。冬場といっても沖縄島の河川の水温は10℃を下回ることは少なく、本州の春先に水温とあまり変わらないかもしれませんね。しかし、それ以上に「一度海へ降(くだ)る」という生活様式が大きく影響しているようで、生まれた仔稚魚(しちぎょ)がエサを豊富に摂(と)れて、しかも捕食者(ほしょくしゃ)の少ない時期、つまりより我が子が生き残りやすい時期をその地域ごとに選んでいった結果ではないかと思われます(実際は「選んだ」のではなく、淘汰(とうた)されて残っていった、「選ばれていった」が正しいのでしょう)。このように同じ生きものでも生活場所によって繁殖時期(はんしょくじき)が違うことは知られています。しかし、最近の調査によると遺伝的にも沖縄島のシマヨシノボリは、日本本州や台湾島のシマヨシノボリと違う事が分かってきました。そうすると、和歌山と沖縄島のシマヨシノボリは違う種類?なのでしょうか。
 シマヨシノボリの学名が決まるのは、もう少し先になりそうですね。
(自然博物館だよりVol.19 No.4,2001年より改訂)

*2014年現在、シマヨシノボリにはR. nagoyaeの学名が与えられています。