紀州の鯊(ハゼ)Gobies in Kishu
13 タビラクチ (田平口)
スズキ目ドンコ科ドンコ属
タビラクチApocryptodon punctatusは、有明海(ありあけかい)・八代海(やつしろかい)と瀬戸内海の一部、三重県の一部に生息するハゼの仲間です。名前だけでは何の仲間かわからないような名前ですが、腹鰭(はらびれ)も癒合(ゆごう)し、背鰭(せびれ)も二基(にき)というハゼらしい特徴(とくちょう)をもつハゼです。口は大きく、やや下側にあり、カエルのような顔つきをしています。体長は成魚(せいぎょ)で6cm前後のハゼです。タビラクチの生息場所は、泥の中まで黒くならず(好気性(こうきせい))、硫化水素(りゅうかすいそ)を発生しないような汚染されていない干潟です。近年では、そのような場所は数を減(へ)らし、瀬戸内海では点々と分断されたように生息地があるだけです。
このタビラクチ、じつは一時、和歌山県の個体群(こたいぐん)は全滅(ぜんめつ)したと言われていました。唯一(ゆいいつ)県内で生息が確認されていた干潟が公園として整備されてしまい、干潟の泥質が変化したからです。しかし、最近の当館の調査によってタビラクチの生息を再確認できました。以前に比べ個体数は非常に少ないと思いますが、わずかに残されていたきれいな泥状干潟にタビラクチが残っていました。その後、有田川の河口干潟からもタビラクチが確認されましたが、こちらも非常に生息数は少ないようです。
タビラクチが生息する干潟ですが、どんな干潟でも良いというわけではないようです。ひとくちに干潟と言っても、その形成過程(けいせいかてい)等により様々な性格の干潟があります。河口に上流からの堆積物(たいせきぶつ)によってできたもの、海岸に波によってできたもの、さらに干潟を形成するものが泥であるか、砂であるか、アシのような抽水植物(ちゅうすいしょくぶつ)が繁茂(はんも)する干潟など、それぞれの中間的な状態を含めると非常に多様です。
タビラクチは汽水環境(きすいかんきょう)にある泥干潟、それも泥の中に非常に多くの生き物が住み、常にかき混ぜられ、嫌気層(けんきそう)をつくらない様な場所でなければ生息できません。周囲に泥干潟はたくさんあっても、河川からの流入水が生活排水(せいかつはいすい)等のために非常に栄養価(えいようか)が高く、干潟の微生物(びせいぶつ)だけで分解しきれない量だと急激(きゅうげき)に干潟の富栄養化(ふえいようか)が進み、泥の中に嫌気層が形成され硫化水素を発生します。こうなると、たとえ同じような泥干潟であってもタビラクチは死滅(しめつ)します。このようにして、現在の日本では非常に生息場所が限定されてしまっている事が、タビラクチが環境省のレッドデータブックに絶滅危惧(ぜつめつきぐ)のひとつとして挙げられている理由です。
和歌山県にすむタビラクチは、日本のタビラクチの分布域の東端(とうたん)の個体群にあたります。和歌山県内の生息域は、恐らくわずか二ヶ所だと思います。しかし両方とも我々人間の生活の場に近く、開発の計画も後を絶(た)ちません。「いずれ消えてしまうもの、いなくなっても関係ないもの」と考える前に、タビラクチからの警告(けいこく)と失われていく和歌山の自然について考えてみてもよいのではないでしょうか?
(自然博物館だよりVol.22 No.1,2004年より改訂)
*タビラクチは、2014年の環境省のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に、2012年和歌山県版レッドデータブックで絶滅危惧Ⅰ類に選定されました。